Destructured
Yutaka Yamauchi

November 2018

博士論文の基準

今年は3人の方が博士論文を提出する予定です。博士論文には最低限満たさなければならない基準があります。最後のひとふんばりを後押しするためにも、共有しておきたいと思います。

博士論文として成立するための最低条件は、(我々の領域の)ジャーナル論文で必ず必要になる「理論的貢献」があるということです。データが多少足りないとか、分析が少し甘いというのは、自分でわかっているなら直すことも難しくはありませんし、その方の次のキャリアでなんとでもなることだと思います。しかし「理論的貢献」を書けない場合は、その後のキャリアでかなり苦労するだろうと思いますので、それが最低限の基準となります。もちろんそれ以前にこれがないとそもそも博士論文としての体裁がないということです。

理論的な貢献は簡単に言えば、自分が貢献する対象である既存の理論の問題点を指摘し、それを乗り越える新しい視座を提供するということです。我々の領域(組織論)では、経験的分析が何か新しいことを発見したとか、説明するために変数を追加したとか、これまでの方法が達成していた精度を改良したということでは論文にならず、理論的な問題の解決が必要です。ここで重要なのは、既存理論の問題点というのが、その既存理論に内在的でなければならないということです。詳しくは
以前にこちらに書きました。

内在的ではない問題というのが大体2種類ぐらいあります。ひとつは、既存理論とは関係のない別の理論を横に持ってきて、既存理論に特定の視点が抜けていると指摘するものです。既存理論は自分が設定する範囲で問題なく成立しているときに、単に新しい視座を横に置いても意味がありません。もし新しい理論的視座を持ってきて外から問題を指摘するだけでいいなら、無数にあるものの中からどんな理論でも持ってきて無数の論文でも書けてしまいますが、それではジャーナルには通らないということです。そうではなく、既存理論が成立していない、失敗しているということを示さないといけません。

二つ目の問題は、既存理論が経験的な事例を説明できないとか、特定の事例しか説明していないというものです。問題はあくまで理論上の問題である必要がありますが、経験的な分析における問題は、理論の問題ではありません。もし何かを説明できないとしたら、それによって既存理論がどういう内在的な問題に直面しているのかを説明しなければなりません。既存理論が説明していないことは無数にありますので、それを指摘して論文が成立するのであれば、無数の論文が成立することになってしまいます。

内在的な問題というのは、外から何も持ち込まなくても、既存理論自体の中に存在している問題です。多くの場合は、既存理論が持ち込む前提(ほとんどの場合明確にされない)の中に問題の萌芽があり、その既存理論が主張していることと食い違っていたり、主張が中途半端で終らざるをえない状況であったり、問題を隠すために別の概念を持ってきて蓋をするようなことが起こっているということです。これは既存の論文には文章として書かれていませんので、自分で読み解いて示さなければなりません。論文を読むということは、書かれていないことを炙り出すということです。矛盾するようですが、そのためには別の理論的視座を持ち込むことが有効ですが、この視座はあくまでも既存理論の問題を炙り出し解決するために利用するものです。

その上でこれをするひとつのテンプレートは、既存理論に内在する二元論を批判し、それを克服する視座を提示するというものです。そういうテンプレートを利用した指導はよくないとも思いますが、後々にその方が成長する中でそのテンプレートを乗り越えていただくことを準備するという意味では、それでいいと思います。そのときの注意点としては、二元論は完全に解体してしまうと無理が出てしまい、それに対応するために別の二元論を引き寄せてしまいますので、安易に否定せず丁寧に議論を積み上げることです。

以上のことはジャーナル論文でも最低限必要なことだと思います。もちろんレビュアーもエディターも完全に一致した基準でレビューしているわけではありませんので、ふと通ってしまう論文もありますが、それは自分が基準を満たさないことの言い訳にはなりません。もちろん領域によって、また教員によって別の基準があると思いますが、教員は誰しも明確な基準を持って指導・評価していますので、学生さんはそれを理解することが必要だと思います(それほど違わないと思います)。

もちろん、教員の想定をはるかに越える博士論文が出てくる可能性はあります。基準とはそういう論文によって無意味になるときのためにあるものだと思います。

# 追記

誤解がありましたので補足します。実際に論文を書くときには、「既存理論は失敗している」とは書きません。他の人の研究を直接的に批判しても得るものがありませんので、できるだけポジティブに書きます。逆に、論文を読むときには、書かれていない本当に言いたいことを読み解かなければなりません。

ブックチャプター: 最初か最後か

ここ数ヶ月スランプ状態ですが、いくつか章を執筆した書籍が出ました。スランプは年内には状況を好転させたいと思います。

Yamauchi, Y. (2018). Service as Intersubjective Struggle, In Maglio, P. P., Kieliszewski, C. A., Spohrer, J. C., Lyons, K., Patricio, L. & Sawatani, Y. (Eds.). Handbook of service science, Volume II. New York: Springer.
https://www.amazon.co.jp/dp/3319985116
https://www.springer.com/us/book/9783319985114

鮨屋の研究から始まった「サービスとは闘いである」というテーゼを論じたものです。このような大きな研究プログラムを論じた論文はジャーナルには載せにくく、自分で本を書くか、このような本の章にするかがベストなアウトレットとなります。このハンドブックはサービス科学のコミュニティで中心的なものですので、ちょうどいい機会でした。しかしながら、私の章は一番最後に申訳なさそうに置かれてしまいました。内容が他の章で議論されているようなものと全く異なる、というか完全に反対の議論をしているので、ハンドブックに収まりきらなかったのだろうと想像しています。わかっていたこととは言えとても残念です。しかしその前にそもそも価格が高すぎて誰も買わないだろうと思います。

Holt, R., & Yamauchi, Y. (2018). Craft, Design and Nostalgia in Modern Japan–The Case of Sushi. In E. Bell, G. Mangia, S. Taylor, & M. L. Toraldo, The Organization of Craft Work Identities, Meanings and Materiality. Routledge, London.
https://www.amazon.co.jp/dp/1138636665
https://www.routledge.com/The-Organization-of-Craft-Work-Identities-Meanings-and-Materiality/Bell-Mangia-Taylor-Toraldo/p/book/9781138636668

これはRobin Holtと一緒にやっているクラフトのプロジェクトで、ひとまず鮨に焦点をあてて書いたものです。最近クラフトへの注目が集まっていて、その動きをさらに加速させようとする本です。まだ研究の成果が出ておらず、まず我々の考えていることをまとめる機会として書きました。こちらはなんと一番最初の章になっています。研究者コミュニティの中心にいるRobinの地位を反映しているのは疑いないのですが、独自の成果が出ていないため一般的なことしか書けなかったということの裏返しでもあります。ただし、少しマシとは言え誰も買わないような値段です。

自分の研究が他の人が考えていることを180度逆転させてしまう内容であり、そのままではほとんど理解されないことはよくわかっているのですが、それをわかりやすくかつ利用可能な形で書けない自分の限界を乗り越えることができません。なんとかがんばって書き続けたいと思います。