November 2015

MOOC "Culture of Services"

Kyoto University is promoting MOOCs (Massive Open Online Courses), which anybody in the world can enroll and take courses. I am offering my MOOC, “Culture of Services: New Perspective on Customer Relations.” I will explain the social and cultural aspects of services by means of empirical analyses of several services such as sushi bars, Italian and French restaurants, and theories in sociology, anthropology, and philosophy.

This course explains the thesis: “Service is an act of struggle.” If you have ever wondered why you feel nervous going to upscale French restaurants and seeing a menu that barely makes sense, this course will demystify how such services are organized. You will learn that hospitality is actually about power struggles and that customer satisfaction is dialectical where trying to satisfy customers will not fully satisfy them. This course will prepare you to understand and deal with paradoxical service relations.

This MOOC will start at the end of January, 2016 and run through 8 weeks. You can take this course for free with many other people from across the world. The course is offered in English. Please register from the following site. 

Culture of Services: New Perspective on Customer Relations
https://www.edx.org/course/culture-services-new-perspective-kyotoux-002x

京都大学は今年から本腰を入れて
MOOCを提供しています。MOOCとは、世界中の誰でも無償で受講することができる大規模オンライン講義です。昨年までは上杉先生が一人で開拓されてきましたが、総長が自らMOOCを提供されているということで話題になっています。当初は誰もやらないということで総長に継いで私がやることになったのですが、その後スーパーグローバルユニバーシティ(SGU)の関係で、かなり多くのMOOCが集まってきました。

私は「サービスの文化」についてのMOOCを開講します。「サービスとは闘いである」というテーゼを掲げ、サービスにおける人間関係の難しさとその実践方法を、エスノメソドロジーによる経験的分析、文化人類学、社会学などの理論をもとに解き明かします。サービスにおけるつかみどころのない人間関係に興味のある方は、いくつかのヒントがあると思います。「おもてなし」とは力のぶつかり合いであること、顧客満足が禁欲主義と結びつくこと、サービスが高級になるほど笑顔、情報量、迅速さなどの「サービス」が減少すること、顧客を満足させようとすると顧客が完全に満足しなくなること、これらのことを明らかにします。サービスデザインの議論で締め括ります。

MOOCは、2016128日から8週間配信します。ビデオ講義をベースに、いくつかのインタラクティブな活動を計画しています。下記よりお申し込みください。講義は英語です。

Culture of Services: New Perspective on Customer Relations
https://www.edx.org/course/culture-services-new-perspective-kyotoux-002x



闘争、暴力、テロリズム

私が闘争という概念を持ち出すとき、昨今の暴力と結びつけられて考えられる可能性があるので、この点を整理しておきたいと思います。先日は暴力をふるった人に関する記事に関連して私の闘争の概念を持ち出されたことがありました。それが誤解であるということは明白なのですが、問題は真剣に仕事をしている人々についても誤解を促進することに加担する構図になってしまったことです。料理人が何か暴力的な人々であるかのような言い方は、料理人をあまりにばかにしています。もちろん暴力的な料理人はいるかもしれませんが(つまり暴力的な学者もいるでしょう)、私が知る真剣に勝負をしている料理人は全く違います。

通常我々は闘争のような概念を避け、平和、愛、敬意、連帯、幸福などを議論します。しかし、私はこのような言説には違和感を覚えます。
拙書でエマニュエル・レヴィナスに依拠したのは、サービスを議論するときに、彼のホスピタリティ/オスピタリテ(迎え入れ)の概念は避けることができないと考えたからですが、レヴィナスの理論は闘争と暴力の関係について語ることを可能にしてくれると思います(彼がそういう言葉を用いたということではありません)。

つまりこういうことです。他者とは、我々には捉えきることができない、常にあふれ出るものであるということです。他者を前にしたとき、我々は絶対的な不安、焦燥、緊張を覚えるのはこのことを意味しています。我々は他人を飼い馴らし、他のモノと同じように扱うこと、つまり他者を自分に還元することはできません。他者との関係は、単に愛、敬意、絆のような概念に回収できません。むしろ、戦争や殺人と紙一重ということになります。そして、そこからレヴィナスは平和や正義を主張したのです。私はこれが社会の理論、そしてサービスの理論の出発点でなければならないと思います。なぜなら、他者に関して愛とか敬意とかだけを語るのであれば、すでに他者を自分が(超越論的に)構成できる世界の一部として、つまり自分が飼い馴らすことができるものと捉えているからです。そこにすでに愛や敬意はありません。

サービスの言説に関しては、客の要求を満たすこと、満足させること、笑顔で居心地のよい環境を作ること、心から奉仕することなどが語られますが、このようなキラキラした言葉でサービスを語るのは、単に学者が自分のイメージをサービスに投影しているだけで、これらの言葉が何かを隠そうとしていることを知っており、かつそれを拒否しているのだと言えます。この拒否は非常に根深いものです。

闘争の概念に一方的に憎しみや暴力をこじつける必然性はありませんし、そのような短絡的な議論しかできないのでは、現在我々の直面する困難を乗り越えることは望めないのではないかと思います。我々は暴力を乗り越えないといけないのであって、暴力から逃げてはいけないと思います(もちろん理論としてということです)。

組織化の相互反映性

ページを書いているRapidweaverの最新版に問題があり、なかなか更新できませんでした… 今日はこの論文を説明したいと思います。組織論のマニアックな内容です。すみません。

Yamauchi, Y. (2015). Reflexive Organizing for Knowledge Sharing: An Ethnomethodological Study of Service Technicians. Journal of Management Studies, 52(6), 742-765.

知識共有(knowledge sharing)というのはひとつの矛盾です。知識がないからそれを求めます。しかし、知らないものをどうやって求めるのか。単に質問すればいいじゃないかと言う方がおられるかもしれませんが、知らないことをどうやって質問するのか? 誰に質問するのか? 何と言えばいいのか? つまりMenoパラドックスです(プラトンに出てくるやつです)。

知識共有の相互行為を達成するためには、例えば質問をすることが可能な状況を作り出さなければなりません。そのために状況に意味付けを行うという組織化(organizing)が必要となります。組織化がなければ、つまり急に質問をしても知識共有は実現しません。この論文は、知識共有の相互行為がそれ単体では実現しえないこと、その相互行為を可能にするための組織化が不可欠であること、そしてその組織化は相互行為の中で再帰的になされることを主張するものです。具体的には、一つの行為をするとき、その行為は現在の状況を、別の社会的状況に埋め込む(embed)されることによって、状況に意味付けがなされます。時には質問すら必要ない状況を作り出し、それによって明示的に質問することなく知識共有を達成します。

Karl Weickによる組織化の理論は、言語によるセンスメイキングを重視します。組織化とは曖昧な状況を多少クリアにして、相互行為を可能とすることを指します。しかし、意味付けする(語る)言語行為と意味付けされる(語られる)行為の間の関係はどうなっているのか? あたかも、二つ別の行為があるように見えます。あたかも語るということが行為ではないかのようになります。あるいは行為は語られるまではは無秩序であるかのように説明されてしまいます。実際にはどのような行為にも、その行為の中で再帰的になされる組織化が必要です。行為があたかも簡単になされたように見える場合、例えば人が簡単に質問して答えを得る場合、組織化が必要ないかのように見えますが、組織化があるからこそ行為がそのようにあたりまえのように達成されうるわけです。

Weickの組織化論は名詞としての組織(organization)を排除し、動詞の組織化(organizing)を持ち込もうと主張するものですが、組織化と行為の関係をあいまいにし、行為に対して別の組織化の行為とその結果生み出される意味を実体として措定してしまったために、結局名詞の組織という実体を排除しきれなくなってしまっています。これを回避するには、行為と意味の相互反映性(reflexivity)を導入する必要があります。これと同じようなことを、全く別の透析治療のデータを使って、
12月の組織学会でも発表します。

ここまでは、特にこれまでここで議論してきたサービスの理論にとってはあまり関連性がないように見えるかもしれません。しかし実は密接につながっています。それについては、また別途落ち着いて書きたいと思います。