February 2017

日本の大学はどこに向うべきか

シンガポールでのサバティカルもそろそろ終りに近づいてきました。最後の仕事をして帰国します。

シンガポールの大学がランキングを急速に上げているというのは周知の事実です。私が今滞在している南洋理工大学はアジア2位(1位はシンガポール国立大学)とのことです。ビジネススクールも同様に急速にランクを上げています。このランキングは、主にお金をかけて業績を出せる研究者を積極的に呼び寄せるということによって達成しています。米国のトップスクールなみのテニュアトラックが整備されています。

対して日本の大学を取り巻く環境の厳しさは周知の通りです。予算がどんどん削減されて、大学自体がどんどん沈んでいく感覚が常にあります。自分の周りでも優秀な若い方が入って来れません。

しかしだからと言って、海外のこれらの大学と同じように勝負するのは意味がないだろうと思います。大きく2つの理由があります。一つは海外の大学と同じ土俵で闘うには、制約が大きすぎます。シンガポールなどの裕福な国と闘うのは無理があります。同じだけの給料を出すことはできませんし、そもそも規模が小さすぎます。

もう一つの理由の方が重要です。グローバルな競争によって、研究の範囲が狭められてしまうということです。論文の数の勝負となり、ある程度受入れやすい研究が多くなります。逆に、メインストリームの議論を批判的に捉えるような研究は成果をまとめるまでに時間がかりますし、論文も書きにくいためなかなか手を出せません。当然人によって目指すところは異なるのですが、私は後者のような研究をしたいと思います。そのための場が縮小していると言えます。

各大学も色々ランクを上げるためにがんばろうとしていますが、やらない方がマシだと思います。基本的に、イノベーションを起こそうと色々施策を打ったり、ルールやツールを用意することは逆効果です。余計な仕事が増えるだけです。

しかし一方で、研究者が好きなように研究できるように放任しておけばいいのかというと、それは成果を出すことを阻害するだけです。やはりパブリッシュすることで評価されるしかありません。我々はそれなりの英文ジャーナルに論文を出すことが求められています。数は多くなくても、英文で重要な論文を出さなければ、誰も読んでくれませんので、それこそ大学だけではなく国全体が沈んで行ってしまいます。ある程度グローバルな競争に身を置くのは避けられないと思います。

ということで、我々は皆矛盾した状況に置かれています。しかしそもそもこういう仕事が矛盾しているのです。自分にあてはめてもそうですが、メインストリームの研究から距離を取る場合、評価されないことが一つの重要な存在意義になっているようなところがあります。メインストリームの方々から評価をされると、何かマズいことをしたような気になります。我々はそうやって自らの場を自律化し、Bourdieuが言うように「負けるが勝ち」という論理を自らが構築しているのです。よくあるイノベーションの成功談に、上司や周りの人が反対する中でやり抜いたことを美談として語られますが、実はそれ以外に選択肢はないし、そのように反対されることが成功に内在的なのです。

マネジメントする側も同様に、矛盾したことを進んでやらなければなりません。表向けは真剣にマネージしようとしているが、そのマネジメントから距離を取り、そこから排除されるものにリスクを取ることができるかどうかです。本当に重要な成果を出していくために必要なのは、マネージしながらそのマネージする方法を常に相対化しマネージし続けなければなりません。企業の研究開発でもポートフォリオマネジメント、ステージゲート、リアルオプションなどありますが、それを真剣に実践することは重要ですが、同時にそれを真剣に実践しないことも重要です。

つまり、研究者が、評価をされないときこそ評価されたと思えること。研究者を評価したときに評価に失敗したと思えること。独り善がりですが、シンドい仕事です。こういうシンドい仕事ができる環境というのは恵まれていると思います。何の不満もありません。