Destructured
Yutaka Yamauchi

Art

HISTORY MAKERS: 価値創造人材育成プロジェクト

京都大学と京都市立芸術大学と京都工芸繊維大学の連合の提案が、文部科学省の価値創造人材育成拠点形成事業に採択されました。今後4.5年間ほどで価値創造人材を育成するプログラムを立ち上げます。社会人を対象にした、(当初は)無償のプログラムです。コンセプトは [ HISTORY MAKERS ] です。歴史をつくるイノベーターの育成を目指します。 Read More…

ペーパーのペーパー

「紙 paper」についての論文 paper を、唐紙師の嘉戸浩さん(かみ添)と一緒に書きました。Proof of Stake: Claims to Technology. A Book of Organizational Objectsという本のチャプターです(来年春に出版)。同時に、この本に関連してKunstverein in Hamburgで展覧会が開催されています。

Read More…

価値の変遷: 社会的起業家、ESG投資

経済学部ゼミの学生がいろいろ調べて発表してくれました。前回のブログでは、自然への回帰やエクストリームスポーツがなぜ今の人々を魅了するのかについての議論を説明しました。今回は、社会的起業家やESG投資についてふりかえります。社会的起業家やESG投資は矛盾を抱えています。社会課題を解決するということは、社会課題自体が資本主義に起因することが多いため、資本主義のロジックを否定することになります。だからこそ、なぜ社会的起業家やESG投資が成功しているのかを理解することは重要です。 Read More…

価値の変遷: 自然、スポーツ

経済学部ゼミの最終発表会がありました。学生に最近価値となっているいくつかの事象、たとえば「自然」「エクストリームスポーツ」「社会的起業家」「ESG投資」などのお題を与えて、それらの文化的背景を考えてもらいました。つまり、なぜそれが人々を魅了するのかを考え、それが体現する特定の諸イデオロギーを炙り出し、それを歴史的文脈に位置付けるというエクササイズです。それにより新しい文化をデザインしようということです。今回は、自然とエクストリームスポーツについてふりかえりたいと思います。

Read More…

デザインについて: 歴史

前回はデザイン思考がエステティックを排除したことを説明しました。今回はデザイン思考には「歴史がない」ことの意味を説明したいと思います。デザインやクリエイティビティの文脈では、歴史は避けるべきものと考えられています。デザインもクリエイティビティも未来の社会を描くものだと言われ、過去を見ることは足かせにしかならないというわけです。しかし、歴史を作ることがデザインの目標でなければならないということです。真の革命は、過去へ跳躍し、過去を救済することでなされるというテーゼです。デザインとは、利用者の潜在ニーズを満たすことでも、顧客の問題を解決することでも、カッコいいものを作ることでもなく、人々の自己表現に関わる文化を作ることなのです。創造性とは、個人の内面のひらめきで未来を作るというのは幻想で、過去を理解することから始まるのです。

Read More…

デザインについて: エステティック

最近デザインおよびデザイン思考についてどう考えるのかと聞かれることが続いたので、あらためて書いておきたいと思います。デザイン思考は重要な成果を生み出しました。しかしながら、デザイン思考の限界を見極め、乗り越えていかなければなりません。京大のデザインスクールで深めてきた議論をご紹介したいと思います。今回は、最初のエステティック(美学=感性論)を取り上げたいと思います。デザイン思考はエステティックを排除しました。デザインが美大を卒業したエリートのデザイナーだけのものではなく、誰でも実践できるという... Read More…

デザインの「まなざし」

先日、ブログで書いた「まなざし」のあるデザインについて、説明が混乱しほとんど理解されなかったようですので、もう一度トライしたいと思います。... その場に他者の視線がなくても、自分の価値を呈示し、証明していくという弁証法的な過程はあると思います。... デザインされたものには、実際に「眼」はなくても、「まなざし」があるということです。「眼」で見ること(look)は見る主体(subject)に所属しますが、「まなざし (gaze)」は客体(object)にあります。この「まなざし」は、人々の欲望に結び付き、価値の源泉となるのです。 Read More…

見ること、見られること、見つめること

デザインセミナー「アートシンキング」での森村泰昌さんとの対談のふりかえり4本目です。本来は1ヶ月以上前に出しておかなければならないところですが、どうしても自分の考えがまとまりませんでした。セミナーは終ってしまいました。森村さんは、私のサービスの闘争が、見る・見られるという関係の相克としてのまなざししか考慮しておらず、「見つめる」という優しいまなざしの可能性はないのかと問いました。森村さんによると、この「見つめる」はバードウォッチングのように純粋なまなざし、あるいは恋人同士の充溢したまなざしのようなものだと示唆しています。その場ではどう答えていいのかわかりませんでしたし、今でも整理がついていません。全く自信はないのですが、何か書いてみたいと思います。 Read More…

美の政治と批判

デザインセミナー「アートシンキング」における美術家の森村泰昌さんとの対談シリーズ第3弾です。「美」における批判および政治性について議論しました。これは批判とは何か、政治とは何かについての示唆があります。芸術はおおむね社会批判ですが、わかりやすい直接的な批判をする場合があります。例えば、人々に問題の解決を促すものや誰かを告発するものです。私はこのような政治的な批判をアートとすることについては違和感を感じていますが、森村さんも同様の感覚を持たれているように思いました。これはソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)に関連しているかもしれません。SEAとは... Read More…

アートにおける「わたし」

先日の美術家の森村泰昌さんとの対談の続きです。前回の「美」についての話しの中でも出てきた、「わたし」ということを考えたいと思います。森村さんの作品はセルフポートレートですので、御自身が写っている写真が中心となります。過去の芸術作品、女優、歴史上の人物が題材になり、それらをセルフポートレートで再現されます(例えば、自分がゴッホになる、モナリザになる)。この芸術の形式のおもしろさはどこにあるのでしょうか? この形式は、作者が直接的に写し込まれることにより、様々な効果を生み出します。セルフポートレートは、むしろ自分を震い立たせて、自分をさらして、外に連れ出すような動きなのです。過去の作品を身にまとうことによって自分を外に連れ出しているとも言えます... Read More…

「美」とは

11月20日のデザインセミナー「アートシンキング」で、モリムラ@ミュージアムにお邪魔し、美術家の森村泰昌さんと対談させていただきました。森村さんは、自分がゴッホやモナリザになるというような形で、セルフポートレート写真で著名です。森村さんのアートにおいては、「美」を意識されています。現代アートが、感性的な美しさを求めなくなった事情からすると、この「美」の背景には重要な視座があると思います。1995年に書かれた『美術の解剖学講義』で、森村さんは「美」を定義されています… Read More…

アートは役に立たないから役に立つ

アートシンキングがビジネスにおいて注目を集めていて、我々もアートシンキングのセミナーを実施します。しかしアートとビジネスの関係がわかりにくいとフィードバックを受けたので、説明したいと思います。アーティストは「アートは役に立たない」と言うでしょう。しかしながら、アートと社会、あるいはアートと資本主義は無関係ということではなく、複雑に絡んでいます。結論から言うと「アートは役に立たないからこそ役に立つ」ということです。アートシンキングと言うと... Read More…

人間中心を乗り越えて

11月20日からのアートシンキングのデザインセミナーでは、「文化のデザイン」を掲げています。文化のデザインは、マクドナルドやスターバックスなどの時代を画すようなデザインが、どのように生まれたのかという疑問に対する答えでもあります。私なりの答えは、文化をデザインしたからということです。... 使いやすいもの、ポジティブな体験、輝かしい未来などを作り出すことを目指す人間中心の考え方では、ひとつの文化を作り出すようなデザインは想定されていませんし、そもそも目指している方向性が違います... Read More…

歴史のあるデザイン

来月のデザインセミナー「アートシンキング」についてもう少し説明したいと思います。前回はアートシンキングがデザイン思考の限界を乗り越える可能性を持っている(がおそらく失敗する)ことを説明しました。デザイン思考のもう一つの限界は、創造性を革新的な「アイデア」に還元したことです。アイデアを客体として捉え、そしてそれを生み出す主体と分離しています。主体がパズルのようにアイデアを取り扱うイメージです。つまり主客二元論の前提に立っています。本来デザイン思考はこの主客二元論を乗り越えるために提案されてきたものですが、結局乗り越えることができなかったということです。アイデアに還元するということは、そのデザインには「歴史」がないということです。つまり... Read More…

なぜアートシンキングか

デザインセミナー「アートシンキング」を実施します。受講生募集中です。なぜアートなのか、どういう意味でアートなのかと疑問に思われている方が多いと思いますので、何回かに分けて補足したいと思います。...デザイン思考の限界が議論されていますが、その原因のひとつは「エステティック」を排除したことだと思います。エステティックは感覚的な美しさのようなものに関わる概念と捉えられていました。従来の意味でのデザイン、つまりプロダクトやグラフィックなどのデザインでは、この美しさは重要な要素であったと思います。一方で、デザイン思考は... Read More…

デザインのエステティック

海老田大五朗. (2020). デザインから考える障害者福祉 ―ミシンと砂時計―. ラグーナ出版.

障害者福祉におけるデザインに関するこの本を読みました。障害者のためにデザインするという話しを聞くと、それがどれだけ素晴しい取り組みであっても、どうしても上から目線であることに違和感を覚えます。これは障害者に関わらず、他者が生活し仕事をする環境をデザインするというときに、デザイナーが直面する問題です。だから、最近ではデザイナーは一方的にデザインすることはできないし、そうするべきではないという言説がよく聞かれます。誰でもデザイナーだと言うわけです... これらの言説は、デザインの中にある矛盾を消し去ろうとする身振りであり、欺瞞であると言えます。この本は、この問題を考えさせるひとつのヒントを与えてくれました...
Read More…

サービスの価値、そしてアート

先日のサービス学会の緊急コラムで書きましたが、少し補足が必要だと思いました。コラムで次のように書きました。ちょっと唐突だったかもしれません。

サービス提供者は,自身が提供する毎に支払いを受け金銭に交換する枠組みからも自由になりつつある.等価交換は社会的関係を負債の残らない形で一回限りで終えてしまう枠組みであり,サービスという関係性の領域においては必然的なものではない.サービスの価値と支払いの関係を創造的に多様化する仕組みを考える余地がある.SNSでレシピを公開しても直接的な収入にはならないが,それはサービスの多様な接点のひとつとして価値につながっていく.前売り券を発行すること,クラウドファンディングで返礼として将来の飲食券を発行することも,興味深いひとつの試みである.また,様々な店が医療機関に弁当を無償で提供している.それぞれの経営が苦しい時に,自分も参加して何か貢献したいという方が多いという.これらはサービスの価値とは無関係ではない…

Read More…

真実を伝えるメディアのデザイン

学部ゼミの活動で、後期から「真実を伝えるメディアをデザインする」を始めています。テレビや新聞などの現在のメインストリームのメディアはどうしても真実(広い意味で)を伝えるということができません。真実を真実だと言って伝えると信憑性がなくなる時代ですが、特にメインストリームのメディアは真実を真実らしく伝えるしかないように思います。そこで越前屋俵太さんと一緒に、そういうメディアの可能性を探っています。俵太さんが30年弱前に…


hyota

Read More…