Destructured
Yutaka Yamauchi

デザインについて: 歴史

前回はデザイン思考がエステティックを排除したことを説明しました。今回はデザイン思考には「歴史がない」ことの意味を説明したいと思います。繰り返しますが、デザイン思考の批判は、デザイン思考がやろうとしたことをさらに押し進めるための批判的作業ですので、デザイン思考を否定しているわけではありません。

デザインやクリエイティビティの文脈では、歴史は避けるべきものと考えられています。デザインもクリエイティビティも未来の社会を描くものだと言われ、過去を見ることは足かせにしかならないというわけです。しかし未来を描くというのは幻想ではないでしょうか。また、デザイン思考は、エスノグラフィなどによって現場に行って共感を得て、インサイトを獲得し、創造的なアイデアを生み出します。ここで歴史が議論されません。例えば特定のインサイトがいいもので、アイデアが創造的であるとして、それがなぜ今の時代に必然性があるのかという歴史的文脈には注意を払いません。それよりも多種多様なアイデアを出すことが重要となっています。結果として、一つのアイデアが成功したとしても、なぜ今の時代にそれが成功したのかを説明するしません。次に成功するかどうかは(低い)確率の問題となってしまいます。デザイン思考に歴史がないというのは、そういう意味です。

私たちは2013年から京都大学でデザインスクールをやってきて、このことに頭を悩ませました。そこで行き着いたのが、歴史を作ることがデザインの目標でなければならないということです。それは結果的に作り出したものが歴史的であるという陳腐な意味ではなく、なぜ生み出したデザインが今の時代に必然性があるのかを問うということなのです。そのためには過去を重視するということでもあります。

このことを議論する前に、アートについて議論したいと思います。アートの世界にも歴史がないと思われているように思います。つまり、アートではアーティストが内面の創造性から自由に発想して作品を生み出すという幻想です。個人の天才的な能力が強調されます。そういう内面から湧き出る創造力で革新的なものを生み出すというロマン主義的な「主体」は、60年代から批判されてきたものです。アーティストは歴史を意識しています。アートヒストリーに位置付けられないと、作品として認められないのです。

このことに関連して、美術家の森村泰昌さんとの対談で議論したことをまとめました。繰り返しになりますがご紹介したいと思います。森村さんが「美」(私はこれをエステティックと読み替えます)を定義されるとき、「美とは未来に向かって振り返ることである。」と定義されています。アートは未来を作り出しますが、それは振り返ることだという逆説です。この言葉を見たとき、ヴァルター・ベンヤミンの次のような考え方を思い出しました。真の革命は、過去へ跳躍し、過去を救済することでなされるというテーゼです。通常は革命は未来を描くことだと考えられますので逆説的ですが、それほど難しい話しではありません。新しいアイデアが成功するためには、それが過去から脈々とつらなる流れの中で位置を獲得しなければならないということです。単に面白いことや新奇なことは、時代の流れと無関係であれば社会を大きく変えるような力を持つことはないのではないでしょうか。

さらに、ベンヤミンによると、歴史は勝者が作り出すので、過去を救済するということは、抹殺されたり歪められてきた敗者を解放することでもあります。森村さんは、(勝者の)正統な歴史から「こぼれおちるものが出てくる」をひろっていくことによって「自分なりの美術史を作る」ことを話されました。これこそが、ベンヤミンの言う「自身の手で歴史を書いているその現在」ということではないかと思います。その歴史が正確で正しいかではなく、自分というものが緊迫した形で巻き込まれた理解です。過去を救済するということは、現在の自分を救済することであり、自分が緊迫した形で歴史を書き直すということです。このように歴史を作ることがアートであり、我々が目指すべきデザインなのではないでしょうか。

森村さんは次のように続けます。「そして美はいつも『まがいもの』としてのみ現われる。」美術家が自分の作るものを「まがいもの」だと言うのは、この敗者を救済するという行為が、勝者の歴史から見ると「まがいもの」だということでしょう。しかしこの「まがいもの」が「美」だというわけです。輝かしい未来を描くことではなく、敗者による「まがいもの」を作ることが、エステティックであり、デザインのイノベーションにつながるのだろうと思います。だから本当に時代を画し未来を呈示するようなデザインを生み出すためには、輝かしい未来を描くというところから出発してはいけないのです。

さて、そうするとデザイン思考に「歴史」を回復する必要があります。過去を救済するということは、勝者の歴史が作り上げた現在の社会において、こぼれ落ちるものを拾い上げ、その歴史的文脈を明らかにしていくということです。これは政治的な意味を持っていますが、先日書いたエステティックと重なってきます。つまり、既存の勝者の秩序を中断するということです。そして、エステティックとは、ランシエールによると感性的なものの分割をやり直すということですが、これは見たり、聞いたり、感じたり、考えたり、話したりできなかった敗者を、見て、聞いて、感じて、話すことができるようにするということです。そしてこれは、自分自身を救済すること、同じ時代を共有する多くの人々を共有することと同義なのです。これができたときに、その時代の人々の自己表現と重なり、時代を画すデザインとなりえるというわけです。

これを踏まえて、我々は時代の変化を読み解き、今の時代の人々が同一化するようなデザインを生み出すアプローチを提唱しています。人々は社会変化の中で、自己表現に行き詰まり不安をかかえています。現在の歴史において敗者であり、声を持たないのです。必ずしも明確に虐げられた人々である必要はなく、個々の中でこぼれ落ちているものがあるということです。これらの人々が声を発し、自己を表現できるようになることで、大きなイノベーションになるだろうと思います。過去の時代を画すイノベーションは、そういう構造を持っています(例えば、マクドナルドスターバックスなど)。そのためにも、我々はデザインの創造力と共に、歴史を理解し社会の変化を読み解く分析力を重視しています。アーティストはアートヒストリーの文脈に自分の作品を位置付けつつ、自らの置かれた社会の不安や違和感を敏感に感じ取ります。誰よりも敏感に察知するという意味で「炭鉱のカナリア」と呼ばれる所以です。

これが次の時代に求められているデザインだと思います。デザインとは、利用者の潜在ニーズを満たすことでも、顧客の問題を解決することでも、カッコいいものを作ることでもなく、人々の自己表現に関わる文化を作ることなのです。創造性とは、個人の内面のひらめきで未来を作るというのは幻想で、過去を理解することから始まるのです。