Destructured
Yutaka Yamauchi

価値の変遷: 自然、スポーツ

経済学部ゼミの最終発表会がありました。学生に最近価値となっているいくつかの事象、たとえば「自然」「エクストリームスポーツ」「社会的起業家」「ESG投資」などのお題を与えて、それらの文化的背景を考えてもらいました。つまり、なぜそれが人々を魅了するのかを考え、それが体現する特定の諸イデオロギーを炙り出し、それを歴史的文脈に位置付けるというエクササイズです。それにより新しい文化をデザインしようということです。分析した内容を10分ぐらいのビデオにしてYoutubeに上げてもらいました。デザイン、コンサルティング、投資家、マネジャーなどの方々にコメントしてもらいました。

色々面白いことがありました。例えば、なぜ今多くの方が自然に魅力を感じるのかを、「ソロキャンプ」や「ロングトレイル」を例に分析しました。なぜひとりでソロキャンプをするのか。実際にその数は増えているようです。数ヶ月かけてひとりで走破するロングトレイルも人気があるようです。近代が始まった18世紀に自然がテーマになったり、技術が破壊的になった20世紀前半にまた自然に精神性を求めたり、戦後都市が発展していくことで郊外の庭付きの家に魅力が出たり、カウンターカルチャーが自然に回帰したり、ここ20年ぐらい生活が効率化され便利になってきたことで田舎へ移住することがブームになってきました。自然災害の後でキャンプブームが来るパターンが見られるようですが、これは自然に行くことでその脅威を乗り越えようとするカタルシスであると同時に、蛇口をひねると水が出てくる便利な社会が実は脆弱でありうると感じるとき、自然に身を置いて改めて自分の位置を確認しようとするのだろうと思います。ソロキャンプはひとりになりたいという欲望ではなく、むしろ現在の技術に媒介された社会的関係を一度宙吊りにして、あらためて本当のつながりを求めようとする動きだと言えます。

その他には、「スケートボード」「パルクール(parkour)」あるいは一般的に「エクストリームスポーツ」などを分析しました。60年代以降に発展したこれらのスポーツは、従来の伝統的なスポーツ(achievement sports)のように、チームで相手を打ち負かすというものではなく、個人が自分と向き合うというスタイルです。90年代にESPNがX Gamesを始めてから20年ちょっとの間で、若者が野球やサッカーなどの従来のスポーツではなく、新しいエクストリームスポーツに移ってきました。チームで相手を打ち負かすというイデオロギーは、現在の若者にはほとんど響かないようです(ところでエクストリームスポーツでは年配に人も増えています)。その理由は、新自由主義的な個人、そして個人が自分で再帰的に紡ぎ出すアイデンティティの重視と言われますが、同時にアイデンティティを確立するための枠組みが流動化したため、単純な二項対立(例えば相手との競争)に信憑性がなくなったとも言えます。むしろ、枠組みを越えて自分自身をつきつめる姿こそが真正性(authenticity)につながるということです。

ちなみにエクストリームスポーツは、社会の規範に反抗的であるという意味で政治性を持っています。これは、正々堂々闘うというような「スポーツ」という従来のイデオロギーと相容れませんし、オリンピックのように正しい正当なものは批判の対象となります。スノーボードがオリンピックと緊張感のある関係を持っているということも(少なくとも当初は)、このイデオロギーの衝突だと言えます。ちなみにオリンピックをどうするのかが議論されていますが、そもそも若者にとってオリンピックはもはや時代遅れなのではないかという大きな変化が全く議論されていません。

エクストリームスポーツが危険であり、若者の反抗的で向こう見ずな態度が、社会において恐怖(moral panic)を生み出します。しかしこれらの若者は、ほとんどの場合、ジェンダーや人種などに関して平等を明示的に支持し、かつひたむきに練習するという禁欲さのイデオロギーを持っています。特に、パルクールなどはアルコールを断ち、健康的な食事を維持することにこだわります。そして、何よりも「安全」を最優先しています。だから競争してより派手な技を出すのではなく、自分を律して安全を達成することを重視します。バーミンガム学派以降、若者のサブカルチャーが大人の規範に反抗的である姿は十分に示されてきましたが、単に反抗的であるなら、「やっぱりアイツらはそんなヤツらだ」と大人の思うつぼになってしまいます。だから、大人はわかっていないという感覚が大事なのです(影でひたむきに努力しているんだ)。

一方で、若者のサブカルチャーは、この20年間でかなり変化しました。従来のように、メインストリームへの対抗という単純な枠組みが成立しなくなりました。今の若者は必ずしも「反抗」というイデオロギーをクールだとは思っていません。だから、反抗的だと思われることをしていながら、自分たちには反抗的な意識はないという主張が見えます。もちろん「反抗」するのではない別のクールな方法で、社会を批判し反抗しています。このあたりの微妙なイデオロギーを読み解かなければなりません。

次回はこの点に着目して、いくつかの学生チームが取り組んだ、社会的起業家やESG投資についてふりかえりたいと思います。