Destructured
Yutaka Yamauchi

人間中心を乗り越えて

11月20日からのアートシンキングのデザインセミナーでは、「文化のデザイン」を掲げています。文化のデザインは、マクドナルドやスターバックスなどの時代を画すようなデザインが、どのように生まれたのかという疑問に対する答えでもあります。私なりの答えは、文化をデザインしたからということです。

デザイン思考の貢献は非常に大きいのですが、このようなデザインを生み出すための方法論ではありません。デザイン思考はおおむね「人間中心設計」の延長にあります。従来の意味での人間中心設計、つまりフラストレーションがなく、明示的な指示がなくても自然に使えるようなデザイン、そしてさらにはもう少し積極的な意味での人間中心設計、つまり利用者の特別な体験をもたらしポジティブな感覚をもたらすようなデザインなどです。しかし私は
人間中心設計に致命的な問題があることを度々指摘してきました。それが文化のデザインの根幹に関わり、アートシンキングにおいて中心的になります。

人間中心設計の問題は、主客分離です。つまり、利用者という主体が、デザインされた客体(対象)を使うという枠組みです。しかし、主体と客体を分離することができません。なぜなら、デザインの対象はすでに利用されるモノではなく、体験の全体であり、包括的な価値共創活動としてのサービスであり、言説であり社会であるということになっているからです。デザインされるこれらの対象に、主体も含まれ、絡み取られています。主体が客体に絡み取られるとき、主体は分離された安全な位置を確保することはできず、自らの意味を提示し、交渉し、打ち立てることが必要となります。使いやすいものや喜ばしい体験をデザインするという枠組みは単純には成立しないのです。

主体の意味が問われるということにおいて、主体が脱中心化されます。そこで、私は「
人間-脱-中心設計 human de-centered design」を提案してきました(が誰にも受け入れられませんでした...)。「闘争」としてのサービスという理論では、弁証法の枠組みを用いて、人が否定され、自らの力を証明し、承認を得るプロセスを強調しました。主客が分離できない以上、客体の価値が問題となるとき、そこに絡み取られた主体の価値も問題となります。これを消極的に捉えると、サービスにおいては客の価値が問題になってしまうため、様々なデザインで対処しなければなりません(あたかも主客分離しているかのようなデザインなど)。積極的には、客が自らを変容させていく過程こそがサービスであり、サービスのデザインは、客が新しい主体性を獲得し始めるという大きな価値を生み出すことができる取り組みなのです(単に要求を満たす以上の価値)。

文化のデザインは、この延長にあります。闘争としてのサービスという相互主観性の枠組みを越えて、もっと広い意味での文化を捉えます。決して人々が憧れるような美しい文化を作ろうという単純な話しではありません。文化をデザインするときには、新しい主体性を獲得し始めるときの緊張感があります。私は、これを説明するのに、最も緊張感のない(と思われている)「マクドナルド」を例に説明することがあります。マクドナルドは、新しい文化を構築し、自己を否定され、そして自己を証明する緊張感ある体験を植え付けたことで、ひとつの時代の象徴となったと考えることができます。詳しくはこちらです。



使いやすいもの、ポジティブな体験、輝かしい未来などを作り出すことを目指す人間中心の考え方では、ひとつの文化を作り出すようなデザインは想定されていませんし、そもそも目指している方向性が違います。もちろん文化のデザインに取り組んだからと言って、簡単にマクドナルドのような革新的なサービスを生み出せるわけではありません。しかしながら、少なくともデザインする方向性を明確に理解することはできますし、社会の変化、現代社会の様相、矛盾する人々の自己表現などを理解するための方法を用いることは格段にデザインを進歩させるでしょう。アートシンキングのセミナーでは、初めてこのデザイン方法論をお伝えする実験的な取り組みです。

デザインイノベーションコンソーシアム
デザインセミナー Series Ⅵ 「アートシンキング」
~文化を創造するためのアートの思考と実践~
2020.11.20(金)~12.18(金)
http://designinnovation.jp/program/designseminars/ds06.html

申し込み締切は11月5日です!