補足: SDLがなぜInstitutionを議論しているのか
28 Apr, 2016 filed in:
Service先日のBlogについてFacebook上で議論になったので補足しておきます。
サービス・ドミナント・ロジック(SDL)がなぜInstitution(制度)のようなものに議論を広げているのかという点です。これに違和感を感じている方は多いのではないでしょうか。この動きは理論の前提からすると必然だと思います。まず価値がSDLの根幹にあるわけですが、SDLは価値を主観性から説明します。つまり、価値は受益者がユニークに、現象学的に決定するということになるわけです。というのは、価値はモノに埋め込まれたものではないからです。しかし、そうだとすると、価値は誰にも知りえないものとなってしまい、理論が空虚になってしまいます。そこで、「だけど価値はランダムではない」と主張せざるを得ないわけです。
しかしランダムでないなら、一体何なのかが問題となります。それを説明するには、制度によって決まるという言い方をせざるをえないわけです。ここでGiddensを持ち出すわけですが、その制度とは社会的な実体として存在するのではなく、行為の中にのみ存在するということになりますが、その行為がある程度構造化されているというわけです。ですので、ランダムではないが、各主観性が決定するという中間的な説明になります。しかしそのように説明した後は、あたかも制度が決定するかのように、一気に制度を実体化した議論に飛躍していくわけです。社会学の永遠のテーマですね。
しかしながら、そもそもの問題は価値を主観性から議論したことにあるのであって、私は最初から価値を相互主観性の水準で捉えておけばいいと主張しているわけです。それであれば、制度のような概念に依拠しなくてもすむわけですし、全て実践の中で説明がつくわけです(もちろん制度概念自体に異論はありません)。
このような重箱のすみをつつくような議論はどうでもよいと思われるかもしれませんが、我々が一般的に用いている「価値」や「サービス」という言葉は、実は我々の幻想を写し込んだ概念だということです。我々が重要だと思って使っている概念はどれもそんなものです。