組織論におけるエスノメソドロジー
29 Oct, 2019 filed in:
Org Theory少し前になりますが、『組織科学』という国内組織研究の中心的な雑誌に「質の高い研究論文とは?」というスゴそうな特集がありましたが、その影で平本さん(と私)が書いたエスノメソドロジーの論文が掲載されました。このような特集が対象としているメインストリームから外れた場所で仕事をしている我々にとっては、「質の高い研究論文とは」という特集の後ろに、自由論題で掲載されたのは少し悪意を感じなくはないですが、しょうがないとも思います。
平本毅 & 山内裕. (2019). 認識実践の再特定化: 透析治療場面のエスノメソドロジー研究. 組織科学, 52(4), 61–72. (1年以上経つとJ-STAGEで閲覧できるようになります)
エスノメソドロジーは組織論に貢献できるという信念を持つ研究者は多く、これまで様々な研究者が試みてきました。特に、エスノメソドロジー初期にEgon Bittnerが組織に関する議論をしたように、組織という概念とエスノメソドロジーはとても親和性があります。エスノメソドロジーのアイデアのいくつかは、Karl Weickによって主流とも言える組織化、センスメイキングの概念に練り上げられていきました。また、新制度学派もエスノメソドロジーに多くの影響を受けました。組織論の基礎的な本を書いたDavid Silvermanが、質的研究方法論の教科書を書き、エスノメソドロジーの考え方も盛り込まれました。また、Lucy Suchmanによってヒューマンコンピュータインタラクションなどの領域に持ち込まれ、それがワークプレイススタディーズの流れを生み、関連して実践や実践共同体(communities of practice)の研究に刺激を与えました(ちなみにSuchmanはPARC、Lave & WengerはIRLというXeroxから生まれた動きです)。実践論やプロセス理論は、少なからずエスノメソドロジーの強い影響を受けています。最近では、組織論でもビデオを利用したいという研究者が多く、その意味でも注目を集めています。
しかしながら、これらの影響は間接的なものに留まり、エスノメソドロジーの研究自体は、組織論ではほとんど受け入れられてきませんでした。エスノメソドロジーの研究は面白いとは言われても、方法論的にラディカルすぎて、メインストリームのジャーナルの査読を通らないという現実がありました。エスノグラフィだと誤解されると査読する以前に終りです。エスノメソドロジーの側も、理論的な概念に置き換えることに抵抗もあり、理論的貢献を議論しにくい規範があって、そのような貢献が必須である組織論のジャーナルにおいては、論文を書けないという相性の悪さがありました。組織論の側からすると、エスノメソドロジーや会話分析の個々の論文は、理論的に何が新しいのかが見えにくく、参照するのは常にクラシカルな古いものばかりという状況でした。
その中で、ここ10年ぐらいでようやく組織論のジャーナル(特にOrganization Studies)でエスノメソドロジー論文見られるようになりました。この10年の最初のころは、エスノメソドロジーを利用することの価値を解く論文が多かったのですが、それも一巡したので、現在は実質的な貢献を求められるようになっています。つまり、エスノメソドロジーを利用して既存理論の問題を指摘し、独自の理論的貢献を提示するということが必要となっています。現在はここで、次のハードルを迎えています。とは言え、1人でもまともな査読者にあたるようになったということは大きな前進なのです。まだまだ困難は続きますが、以前に比べれば格段にやりやすくなりました。日本では10年遅れて、この議論が始まったところという感じでしょうか。
この領域でかなり苦労してきたのですが、なんとかそれなりのジャーナルに論文を出すサイクルが回るようになってきました。領域としてせっかくここまでの状態に持って来れるようになりましたので、この領域でやって行きたいという方には、最大限の支援をしたいと思います(そんな人いないというのが現実ですが)。是非日本のエスノメソドロジーのコミュニティが組織論に興味を持ってもらい、組織論のコミュニティもエスノメソドロジーに興味を持ってもらえればうれしいです。