組織ルーチンの研究
28 Jan, 2020 filed in:
Org Theory鮨屋のデータを用いた、2本目の論文がJournal of Management Studiesに採択されました。2本ともルーチンのパフォーマティヴィティ(performativity)について書いています。日本語でも説明しておきたいと思いました。ルーチンは組織論の基本概念のひとつです。組織はルーチンによって構成されていると考えます。そもそも組織化されているということは、行為がなんらかの認識可能なパターンに沿っているということであり、それがルーチンです。また、個人から出発すると、組織という社会的な集合を理論的に説明することができないため(個人の心理や合理的意思決定に還元されるなら組織という概念は必要ない)、ルーチンという(個人に還元できない)相互主観的な要素を基礎に置く必然性があります。ルーチンは従来固定的なものだと考えられてきたのですが、そうではなく、ルーチン自体が動的であるという議論が始まりました。ルーチンのパフォーマティヴィティの議論です。パフォーマティヴィティとは、まず実体があってそれに則した行為があるのではなく(部長があって部長の行為があるのではなく)、行為によってそのような実体が打ち立てられる(ように見える)といういうように、関係を逆転させることを指します(その行為が部長を作る)。つまり、ルーチンは実体として事前に存在するのではなく、それを遂行する行為によって達成されるという考え方です。さて、我々はエスノメソドロジーの視座を用いた組織研究をするのですが、パフォーマティヴィティの考え方は相性がよく、ルーチン研究はとても便利な突破口なのです。このふたつの論文はどちらも鮨屋での「注文」のルーチンを取り上げています。鮨屋で注文するということは、単に欲しいものを頼むということではなく、緊張感にあふれた行為です。親方に試されますし、慣れない客は自分の選択が正しいのかどうか不安なまま注文します。これを研究するとルーチンについて面白いことが言えるだろうという構想です。一つ目の論文はこちらです。Yamauchi, Y., and Hiramoto, T. (2016). Reflexivity of Routines: An Ethnomethodological Investigation of Initial Service Encounters at Sushi Bars in Tokyo. Organization Studies, 37, 1473–1499.この論文では、注文というルーチンにおける認識の食い違いに焦点をあてています。ルーチンのパフォーマティヴィティの議論には、ルーチンの明示的側面(ostensive)と呼ばれるものが強調されます(ひとびとが「今こういうルーチンが起こっている」と認識できるということです)。この明示的側面というのが人によってバラバラであり、複数でありうるということが議論されています。鮨屋の注文においては、親方と客がルーチンに関して食い違う理解を持っているということは当然なのですが(この食い違いが緊張感になる)、この論文の貢献はこの食い違いがルーチンを再帰的(reflexive)に構成していることを示したことです。つまり、食い違って「しまう」のではなく、食い違いを認識した上で、それを利用してルーチンを達成している、つまり緊張感のあるルーチンとして構成しているということです。言い換えると、遂行的側面(performative)が明示的側面(ostensive)を遂行(perform)するということです。
Yamauchi, Y. & Hiramoto, T. (forthcoming). Performative Achievement of Routine Recognizability: An Analysis of Order Taking Routines at Sushi Bars. Journal of Management Studies.今回の論文は、この明示的側面にさらに踏み込んだものです。明示的側面は、基本的には認識自体を示すのではなく、ルーチンのパーフォーマンス自体が何らかのパターンを構成しているときのパターンのことです。ルーチンは単に個別具体的な状況で遂行されるだけではなく、認識可能なあるパターンを形成します。この認識可能性(recognizability)は、まさにエスノメソドロジーにふさわしいテーマです。
この論文では、ルーチンは自身だけで閉じられることはなく、常にそれと関係のない外部との相互作用によってパターン化され認識可能性が達成されていることを説明します。例えば、親方はいきなり客に近づいて注文を取ることはできず、客の皿を拭いたり、ガリを置いたりしながら客の前に出て、その後で自然と話しかけます。この皿を拭いたりガリを置く行為は、注文を取るというルーチンとは無関係であるように提示されており(そうでなければ客は反応しなければならない)、この無関係性によってルーチンの開始が可能となります。つまり、ガリを置くために近づいたのであり、注文を取るためではないからこそ、注文を取ることができます。また、「次何にしますか?」と聞いても、客はすぐには答えることができないため、親方はすぐに下を向いてまな板を拭き始めたり、調理に戻ったりします。これにより、客に考える余裕を与えているのです。つまり、注文のルーチンとは関係のない活動を挿入することで、初めて注文のルーチンがパターンを形成し認識可能となるわけです。もし親方が客の前で突っ立って注文を待ち続けたら、客は焦ってろくに注文もできません。
認識可能性が達成された後からはルーチンがあたかも閉じているように見えますが、それはルーチンの外にある関係のないものに依拠して認識可能性を達成したからに他なりません。これを分析により明確に示すことができます。
Journal of Management StudiesもOrganization Studiesも一応我々の評価においてはAジャーナルということになりますが、エスノメソドロジーという変な研究を組織論でやるには、現実的にこれらのジャーナル以外あまり選択肢がありません。言い訳ではなく、もっとがんばりたいと思います。