Destructured
Yutaka Yamauchi

真実を伝えるメディアのデザイン

学部ゼミの活動で、後期から「真実を伝えるメディアをデザインする」を始めています。テレビや新聞などの現在のメインストリームのメディアはどうしても真実(広い意味で)を伝えるということができません。真実を真実だと言って伝えると信憑性がなくなる時代ですが、特にメインストリームのメディアは真実を真実らしく伝えるしかないように思います。その理由はまた別のときに書きます。

そこで越前屋俵太さんと一緒に、そういうメディアの可能性を探っています。俵太さんが30年弱前に、日本人はアリのようだと批判したフランスの首相クレソン氏へ抗議するために、アリの着ぐるみを来てパリに行って、パリの人々に「私のどこがアリなのでしょうか?」と聞くという企画がありました。首相官邸にアリの格好で突っ込んで行って、追い返され、最後にはセーヌ側に飛び込むという番組でした。それをフランスのニュース番組が取り上げて流しました。

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日本政府は正式に抗議をしました。メディアでは評論家が抗議したと思います。しかしこのように抗議することでは抗議になっていないのです。日本人はアリのように働いて、面白くないやつらだと言われているのに、真面目に抗議したのでは自分が面白くないことを証明しているわけです。その中で、俵太さんがアリの格好をして首相官邸に乗り込んで行く姿は、フランス人にとってはそれなりに衝撃だったようで、日本人は面白くないはずなのに、無茶苦茶面白いやつがいるじゃないかということになるわけです。

アリと言われて、アリじゃないと答えるのでは、アリになってしまうのですが、アリの格好をして問いかけると、アリではなくなるのです。これがパフォーマティヴィティ(行為遂行性)です。真実を真実だと主張しても真実にならないとき、このパフォーマティヴィティが必要なのです。もちろん真実が本質的に存在し、それを正確に表現するというようなナイーブな考えに立つのではなく、真実はひとつの効果として生じるということです。

アクターネットワーク理論的には、真実はそのままでは真実としては通用せず、様々な社会的、物質的要素を動員することで、疑問や反論に抵抗し安定化し、最終的にはブラックボックスになって、自然と受け入れられたときに真実となるということになります。メインストリームのメディアは、このような安定化したブラックボックスを作り上げ、固定的に真実を真実らしく作り込むことしかできなくなっています。日常の生活世界から切り離され、プロが作り込む綺麗なメディアというのは高品質ではあるのですが、現在の感覚からすると高品質なものこそひとつの作り物に見えてしまうのです。

現在では、むしろ真実はこのようなブラックボックスに亀裂を入れる(逃走線が引かれる)動きにおいて生まれるのではないでしょうか? 枠組が崩潰するような一瞬に真実性を感じるように思います。米国ではまじめな話題をコメディアンが面白く諷刺をまじえて笑いにすることで、真実を伝えるようなことが多くなっています。Twitterでも、狙って宣伝したり権威をかざして伝えるものにはLikeがつかず、むしろそれを否定するようなものにLikeが集まるのも、同じような理由だと思います。ブラックボックスを部分的にずらすことで亀裂を入れ、全体を逃走させるような動きを生み出すようなデザインを考えなければなりません。

ただ、真実を伝えるメディアと言ってもすぐには難しいので、まずは大学の身近なところから始め、学問の面白さを伝えるという目標を設定することにしました(その方が難しいのかもしれませんが)。実はこれは俵太さんのライフワークでもあります。モーレツ科学教室で科学の面白さを伝え、京大変人講座で学問の面白さと伝えようとしています。うまく行くかどうかわかりませんが、まずはここから始めたいと思います。