Destructured
Yutaka Yamauchi

ペーパーのペーパー

「紙 paper」についての論文 paper を、唐紙師の嘉戸浩さん(かみ添)と一緒に書きました。嘉戸さんは米国でデザインを勉強し仕事された後、老舗の唐紙工房で働き、後に独立されました。家族運営の唐紙の世界では珍しく従業員になり独立した職人であり、かつ自分でデザインして板木を作る、(たぶん)唯一の唐紙師です。西陣の素敵な一角にお店があります。唐紙(からかみ)というのは木版で印刷した紙を襖(ふすま)にしたものです。

Proof of Stake: Claims to Technology. A Book of Organizational Objectsという本のチャプターです(来年春に出版)。同時に、この本に関連してKunstverein in Hamburgで展覧会が開催されています。モノ、テクノロジー、メディアが、人々をどう組織化するのかを、具体的なものに注目して議論するものです。和紙を題材に書きました。キュレーターのSimon Dennyが作った和紙のオブジェクト(NFT)がTezosブロックチェーンのHic et nunc上にあげられています。

よく考えると、和紙はテクノロジーです。町田誠之氏によると、紙が中国で絹くずからつくられ、105年に麻を使った植物性の紙が発明・改良され(それより古い麻紙は発見されている)、7世紀ごろにイスラムに伝えられ科学の発展に寄与し、12世紀にヨーロッパに入り15世紀の活版印刷の発明につながります。印刷が宗教改革に力を与え、さらには文書に基づく官僚制が可能となりました。

ところで、中国の紙は古い麻布を紙に漉き直す手法でしたが、和紙は楮(こうぞ)や雁皮(がんぴ)などの国内の木の内皮を使って紙を作ってきました。特に、雁皮という粘性のある素材を発見したことで、ゆすって漉く「流し漉き」の手法が生み出され、より繊維が絡み合い強くてなめらかな紙が生まれました。さらには、粘性のある黄蜀葵(とろろあおい)のような画期的な材料を発見し、流し漉きが確立します。ヨーロッパなどでは19世紀後半まで古い麻布を原料としていたため多く生産できず、紙自体が貴重なものでした。伊達政宗の派遣した視察団が高品質な紙を無造作に使い捨てにするので、ヨーロッパの人が驚いたとのことです。日本では7世紀ごろからすでに木から紙を作り、江戸時代には紙は日常的に一般の人にも普及していたようです。

紙は同時にメディアでもあります。その上に書く、描く、刷る、そして包むものであり、それ自体よりも別の何かを媒介するものです。しかし、和紙はモノでもあります。媒体として透明な存在ではなく、それ自体を眺めて見惚れたわけです。清少納言も白い紙をただ眺めて楽しんだと言います。柳宗悦は1933年に次のように書いています。

想へば単純な材料に過ぎない。それなのに眺めてゐて惹きつけられる。手漉きの和紙はいつだとて魅力に満ちる。私はそれを見つめ、それに手を触れ、言ひ難い満足を覚える。美しければ美しいほど、かりそめには使ひ難い。

つまり美しい和紙に出会うと、それに何かを書くことがためらわれ、自分の筆が和紙にふさわしいのかどうかが問われる弁証法的な闘争に巻き込まれると言えます。

日本は白い紙を好みます。襖(ふすま)は鳥の子(鳥の卵のような白色の雁皮紙)の白が最も正式だとされます。それに唐紙の紋様を押すとしても雲母(きら)の白を使います。つまり、白に白を押すわけです。白が光の入りぐあいで変化することを楽しみます。白が好まれるのは、もともとの神道の木綿(ゆふ)の白につながるらしく、神社がシンプルで白木を使い白い紙の大幣を使うような色使いから来るのでしょう。ちなみに木綿は楮から作った布だったので、最初に和紙を作ろうとした人は楮を使ってみたのだろうと思います。そして、神道で使う幣(ぬさ)は、木綿から紙に代わっていきました。



白に白押し (嘉戸さんのステーショナリー)


平安時代の寝殿造りは、障子(明かり障子)に襖(襖障子)、それに屏風、几帳、御簾などを組合せて空間を作りますが、全て取り除くと壁がなく外とつながっていました。そして家具も置かず、都度しまっておいたので、普段は何もない無の状態となります。このように何もない空間を重視することは、そもそも白や無自体を際立たせるのだろうと思います。経師の向井一太郎氏は、このような空間を「あらはし」と共に「かくし」という両義性を抱えている言います。

日本の寝殿造りでは、障子や御簾のように透けて見えるものや、屏風や几帳など一部分しか隠さないものを配置して、複数のレイヤーを作り、奥行を形成します。かくしているようで、あらわしてもいます。あるいは、かくすからこそあわらすとも言えます。白や無は決して透明なメディウムではなく、それ自体がひとつのメッセージとなり、そしてだからこそ特別なメディウムになっているということだろうと思います。見えたり見えなかったり、見られたり見られなかったりという緊張感が、生活を充実したものにしていると言えるでしょう。



帳: 『類聚雑要抄』4巻 (京都大学付属図書館)


しかし襖は完全に光をシャットアウトしますし、単にかくしているだけに見えます。これはどう考えたらいいのでしょうか。襖は、臥す・伏す(ふす)ための間ということで寝ることに関連します。昔は紙衾(かみふすま)という紙でできた寝具・着物があったとのことで、やはり寝ることと着物に関わるわけです。襖という漢字自体が、衣へんと、奥という見えにくいプライベートなものの組合せです。襖は身体に近い部分のレイヤーなのかもしれません。完全に光をシャットアウトするのも、寝るということに関係していると思います。

さらに、そうすると白ではない派手な唐紙や襖絵はどうなるのかということですが、正確にはよくわかりません。寝殿造りのシンプルな家でも、身につける着物は派手であったりしますので、襖は着物の延長ということかもしれません。派手であることは仏教にも関わるのではないかと思います。襖絵も唐紙も仏教の寺院に多く、神社にはほとんど見られません。仏教は金などを使い派手に装飾したようですので、古来の美意識とは全く異なっていたのでしょう。それが歴史上は緊張感を持って共存してきたというのは面白いと思います。紋唐紙(もんとうし)と呼ばれた中国の紙から、日本の紋様を使うようになって千年以上経っていますが、それを今でも唐紙(からかみ)と呼ぶのは、その異邦性を意識してのことかもしれません。

つらつらと書きましたが、組織化について最近考えているのは、情報のやりとりや意味の確立によって行為がうまく連携されるという組織化ではなく、むしろ何もないことによって行為が宙吊りにされることで意味が生成されることや、いくつものレイヤーによって見たり見られたりする緊張感があって重層的な組織化が行われるというようなことをうまく表現できないかということです。これは現在やろうとしている活動に関連していますので、近々きちんと書きたいと思います。