サービスの価値について
09 Aug, 2015 filed in:
Serviceサービス・ドミナント・ロジックについての「価値」に関する議論ですが、私は現象学という枠組みを持ち出したことがSDL
の致命的な問題のように思います。価値が主観性であるというような言い方もされますが、おそらく物自体としての価値などなくて、それはぞれぞれが超越論的に作っているものだということが言いたいのだろうと思います。しかしサービスの概念は根本的に間主観性だというところがポイントだと思いますので、それを主観性の価値という概念に依拠して議論すると破綻すると思います。フッサールの間主観性の議論もそれほど成功したように思えません。結果的に価値が何でもありになってしまい、サービスという概念が空虚になってしまう結果となります。もし提供者は価値提案をするだけで、価値は顧客(
あるいは受益者)
が主観的に決める・構築するということであれば、モノを渡しているGDL
と何ら変わらないことになります。そこで実際には間主観的な相互行為が重要になるだろうということですが、SDL
の枠組みではこの相互行為をどのように分析したらいいのかわからないというのがその限界です。これがサンノゼのキーノート(ICServ)
で質問した内容です。Vargo
先生たちは実はこのことに気付いているだろうと思います。だから制度論を持ち出しているように見えます。制度は間主観性の一つの概念としてはとても扱いやすいからです。まず主観性が実は制度的に媒介されているということ、そして個々の主観性が長期的な観点からは一つの社会的事実として制度的に定立されることが暗黙の前提とされているのでしょう。しかし、これは実際に価値を共創している相互行為や相互作用を分析しない限りは、問題をサイドステップしているだけのように見えます。そのため価値が現象学的であるということは保持しています。このように書くとSDL
に批判的に聞こえますが、基本的なアプローチには賛同しつつ、その議論の展開に無理がある部分があり修正が必要であるという主旨です。