Destructured
Yutaka Yamauchi

May 2019

デザインに哲学は必要か?

古賀徹先生から、『デザインに哲学は必要か』(武蔵野美術大学出版局)をご恵贈いただきました。ここで展開されるデザインは、人間-脱-中心設計というような標題で私の考えていることに重なるので、とても刺激を受けました。私自身、デザインがもはやデザイナーのすることには限定できない昨今の状況で、デザインをどう捉えるのかという問題に頭を悩ましてきました。古賀先生のお人柄をあらわすような流れるような文章を、私なりになんとか理解しようとしたぐちゃぐちゃの痕跡を書きとめたいと思います。

古賀先生は、デザイナーが人々が豊な生活を営めるように技術を洗練させていくものというデザインを、デザイン2.0と呼んでいます。うまく考え抜かれて、わかりやすく、痒いところに手の届くようなデザイン。これは人間中心設計と呼ばれるものでしょう。

デザインによってすべての問題が解決された世界においては、人間もまた、その潜在的機能を充分に発揮しながら〈何ごとも起こらない〉ままにスムースに死に至るである。(p. 39)



これがデザイン2.0です。それに対して、「デザイン3.0」とは次のようなものです。

デザインは技術を洗練させるとともに、その技術を要求する人間に対し、「本当にそれでよいのか」と同時に問いかける技術でなくてはならない。このような、〈問いを発するデザイン〉のあり方を「デザイン3.0」と定義することができる。(p. 41)



デザイン3.0とは、単に人間を豊かにするためにうまく機能するシステムではありません。まずシステムは閉じられないため、考え抜いて作ったとしても期待通りにうまく機能することはありません。必ず、システムは危険にさらされます。本来人間を豊かにするはずだったシステムは、多くの矛盾をもたらすでしょう。そこで重要となるのがデザイン3.0ということになります。そこではむしろシステムは閉じられず、自らが問いを発することになります。しかし、「技術」が「人間」に向かって問いを発するとはどういうことでしょうか?
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コンビニという安らぎの空間

学部の学生と一緒にコンビニについて考えています。コンビニは学生に身近なトピックであり、現在進行形で社会問題にもなっているテーマですので、扱うにはちょうどいいかと思いました。学生との議論を先日週刊ポストの取材(なんでやねん)で話して盛り上がりましたので、すこし書いてみました。

コンビニは、いつでも欲しいものが簡単に手に入る便利なものとして発展してきたというのが一応の常識です。しかしコンビニは便利で効率的なものというだけではなく、現代の社会において「文化」を形成しています。学生の話しを聞くと、コンビニで知り合いに会うと気まずい。複数人のグループで行くのは違和感がある。夜バイトの帰りに疲れたときに、フラっとコンビニに寄りたくなる。考えることなくぼーっとしていられる空間。店員から声をかけられることもないし、自分の個人的な空間。大きすぎず安心できる空間。というように捉えているようです。そういう意味では、コンビニは便利であるという以上の何かです。都会でない場所で育った学生さんは、夕食後に家族でコンビニに行って、それぞれが自分の好きなスイーツなどを買ったり雑誌を見たりするらしいです…
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